地域の人々の
“当たり前の暮らし”を
守る責任がある。
本社と営業所 ―― 総合職には大きく2つの職場がありますが、そのキャリアステップや経験する仕事は人それぞれ。
ここでは2名の社員を例に総合職のキャリア像を紹介します。
営業所・本社のそれぞれでさまざまな経験を積み、あらためて安全運行を守ることの責任の大きさを知ったという森。
現在、武蔵境営業所で所長として次世代育成に注力している。
会社の規模が大きすぎず、かといって小さすぎず、いろいろなことにチャレンジできると思い、小田急バスに入社しました。最初の配属は「狛江営業所」でした。この営業所は、狛江市だけでなく、調布市や武蔵野市、三鷹市、世田谷区、渋谷区など、広い運行エリアを担当しています。そのなかで会計管理や運転士の勤怠シフト管理などが私の役割でした。当時のことを振り返るたびに鮮明に思い出すのが、23時ごろに小田急電鉄が運転見合わせとなって急遽代行バスを用意しなくてはいけなくなった時のこと。右往左往していた私に、翌朝の始発運行のために泊まり勤務をしていた運転士が「行くよ」と言ってくれたのです。本当に嬉しく、プロとしての立ち居振る舞いにほれぼれしました。
4年目から「武蔵境営業所」に異動となりました。運転士の勤務シフトの作成や運行管理補助など、仕事内容としては前の営業所にいた時と同じでしたが、担当する路線の環境が大きく異なっていました。何しろ、当時は一番大きな営業所で、バスが130台、路線も目的地が同じでもルートが違うということがたくさんあり、それを頭に入れるのに苦労しました。また、狛江営業所は通勤・通学にご利用されるお客様が多かったのですが、武蔵境営業所ではそれに加えて買い物などのちょっとした外出でのご利用が多いなど、運行エリアによってお客様がバスをご利用される目的が異なる傾向にあることもわかりました。
5年目からは本社に異動となり、運行ダイヤの作成・管理や停留所の管理——つまり“小田急バスの運行エリア全体”を見る立場に変わりました。いま思えば、それまでの営業所の経験があったからこそ、運行エリアを俯瞰する仕事への理解が早かったような気がしています。印象に残っているのは、大規模なダイヤ改正に携わった時のこと。そのダイヤ改正には他社との共同運行の路線も含まれていたため、他社の担当者とともに「お客様にとってどんなダイヤが望ましいか」についての議論や互いの収益や乗務員の労働条件などに関する交渉を何度もしました。ようやく新ダイヤでの運行を開始した時は、安心すると同時に、地域を支える公共交通機関としての責任の大きさをあらためて実感しました。
12年目からは、ふたたび営業所で勤務することになりました。今度は、エリア内の状況を見ながら運転士に指示を送るバス運行管理をはじめ、運転士への指導・教育を担当しました。そんな業務主任の仕事を始めたばかりのある日、同営業所の運行バスが自転車に乗った方と接触するという大きな事故を起こしてしまいました。すぐに事故に遭われた方へのお詫びと対応に取り組みましたが、一方で「もっと安全運行のための取り組みを強化しなくてはならない」と痛感しました。それ以来、日ごろから運転士たちに積極的に話しかけ、一人ひとりの性格や考え、運行上のクセなどを把握した上で、指導・教育に活かしました。
営業所で業務主任を担当して3年が過ぎたころ、会社全体で事故防止やサービス向上への取り組みを強化することとなり、私も本社に戻って「運転士の教育担当」として参加しました。まだ当時は全社的な研修施設も全社共通の教育プログラムもなく、まさに“ゼロからのスタート”でしたが、研修所の新設や新しいプログラムの作成に携われたこと、そして業界内でも先進的な教育体制が整っている会社に訪問し、自分の目や耳で学ばせてもらったことは大変貴重な経験となりました。
その後、登戸営業所の副所長・所長を経て、現在は武蔵境営業所で所長をしています。所長の役割は営業所全体のさまざまな業務をマネジメントしていくことですが、あらためて“現場とのコミュニケーションの大切さ”を感じています。先日も大幅なダイヤ改正をすることとなり、運転士や総合職の社員が参加するプロジェクトチームを組んだのですが、運転士が「あそこの道は狭いから時間がかかる」といったアドバイスをくれるなど、それぞれが日常の仕事から得た知見や知恵を出し合いました。それによって、お客様にとってはより便利で使いやすい、当社にとってはより効率的なダイヤが完成したのです。今後も、そんな風に社員一人ひとりの経験を活かしながら、小田急バスが地域の皆様に愛されるバス会社であり続けることを目指していきます。